明確に書き上げた
ここで私の申します、リアルな記録を残した、例外的な一人のニッポン人というのは、明智方として、本能寺へ寄せた軍勢中の大将の一人で、ホンジョウ・カクエモンという男のことなのであります。彼の覚書によりますというと、信長の死の前後は次のようになっております。これは手記でありますから、この部分もごく簡単であります。――
「本能寺のなかへ乗り込んだ時には、相手のなかで誰も手向って来る者がない。或いは自分を仲間だと思っていたのか、自分が這入っていっても手向いする者がなかったのか。それだからと云って、寝ている者もなかったし、気を配ってみたけれども鼠一匹すらも姿を見せなかった。せめて二、三人でもと思ったが、おどり出して抵抗して来る者もなかった。そもそも抵抗というものを何ひとつ感じることなく、信長の寝所へゆきついたのであった」――
こんな風なことが誌されております。
この一例でも分って頂けると思うのでありますが、すこしも他に煩わされることがなく、自分自身の体験そのものを、明確に書き上げた日本人の手記というものは、滅多にないのであります。これなどは実に特別な、特殊の例なのでありまして、殆んど、いや全ての者は、物事の本態を見るということを忘れているのであります。いつでも他人の思惑が考えられていまして、独立の個人の自由な考えとか、観察方法とかは許されていないし、許されなければブチ破ってやろうという人物はいなかったのであります。
